『疑問の黒枠』撮影を見る 作者:渡辺温 1927年
六月三十日のお午(ひる)頃から新子安(しんこやす)のパーク・シネマへ『疑問の黒枠』の撮影を見物に出かけた。パーク・シネマと云うのは松林とキャベツ畑の間に見える春日城(かすがじょう)の白い城壁(セット)の中にあった。たいへん素朴なダークステイジの中で、和服姿の直木(なおき)氏が悠然とカメラの前にしゃがんで、「用意!始め!」と声を掛けていた。素人(しろうと)の玄人(くろうと)よりも侮(あなど)り難(がた)きを見せてやるのだと直木監督は威張った。けれども直木氏は決して、役者のアクションには、喙(くちばし)を容(い)れない。これは、併(しか)し役者の人々が、みんな新劇協会の偉い人達ばかりで、そんな必要はちっともないからに違いない。全くキャストはこの撮影中で一番素晴しいものである。畑中(はたなか)寥波(りょうは)氏の小窪(こくぼ)博士と二役押毛(おしげ)治六(じろく)、伊沢(いざわ)蘭奢(らんしゃ)氏の奇術師松華(しょうか)、細川(ほそかわ)知歌子(ちかこ)氏の令嬢富子(とみこ)、それに石井(いしい)漠(ばく)氏の鹿島(かしま)刑事と云うオールスターキャストである。そこで、この撮影を傍観しながら、それにつけても、なぜもう少しお金をかけてもっと上等なキャメラとライトと、もっと厚味のあるセットとを使わないのかしらといたく残念に思った。(この映画は決して様式的演出に依る訳のものではなかろうからして——)とにかくよき監督とよき俳優とのために、私はまたしても、あたぢけない日本の活動写真が情(なさけ)なくなった次第である。とは云いながら、何しろ『新青年』愛読者ならば、どうぞひたすら、その封切の暁をば御期待下さい。
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